米国財団法人野口医学研究所

PP2017 参加報告

看護師濱新作

2017年5月ベトナム

この度 5 7 日から 18 日の日程で、ベトナム・ダナンにおける人道援助活動「Pacific Partnership2017(以下 PP)」に野口医学研究所(以下野口)の一員として派遣されました。 無事、任務を終了し帰国いたしましたので、12 日間の活動報告をいたします。

▼参加動機
看護大学の学生のとき、
PP に参加経験のあるアメリカ人看護師と接する機会があり、そ

の活動の概要を知り興味を持ちました。アメリカ軍主体の活動ですが、民間人も参加する ことが可能であることが分かり、卒後に是非参加をしたいと思っていました。この度、募 集に接し、海外での活動・現地の現状や様々な国の医療者や現地の人々と交流を知りたい と思い応募しました。

▼ダナン総合病院

熱傷病棟(5 11 日~13 日の 3 日間) 1週目の活動は、ダナン総合病院の熱傷・整形

病棟にて行いました。病棟は 2 つの区域に分か れており、東は整形、西は熱傷という配置で、 朝 8 時前から午前中ラウンドして包交やケアを 行っていました。整形の病棟では、米軍の Wound Care 専門の CNS(Clinical Nurse Specialist)、 米軍のサンディエゴのクリニックにて外傷ケア を主に担当している RN(正看護師)と米 NGO (Project HOPE)から派遣されてきている一般 病棟(Medical-Surgical ward)勤務のアメリカ 人看護師 3 人と私とともに入院患者を1人ピッ クアップしました。患者は、交通外傷により左 大腿の広範囲に及ぶ外傷と骨折があり創外固定 を行っている 40 歳男性で、アメリカ側の看護師 とともにベトナム側病棟看護師・病棟に来ている看護大学学生と教員を巻き込んで Medical Surgical Nursing Side-By Side を実施しま した。初めから SMEE(Subject Matter Expertise Exchange)することは難しいので、初め の一日は、実際どのようにケアを行っているか把握するために1日病棟のラウンドに付き 添う形で説明をしていただきました。通訳は、英語⇔ベトナム語で行われました。4 人に対 して通訳 3~4人ついている状況であったので、ほぼ足りている状態ではありましたが、通訳に応じて英語レベルには違いが当然ありますので、スピードや正確性にはばらつきがあ りました。一人、アメリカ育ちでベトナムに帰国している通訳さんがいましたので、その 通訳さんが主に重要な役割を果たしていて米側も彼女を指名することが多かったように思 います。SMEE では、ベッドサイドで、患者の創傷のアセスメントをして、どのような手順 で、どのような材料を選択しながら行っているかを、ベトナム側のケアを観察しました。 壊死組織のデブリードマンは、共に実施し、米側が持参した、資材を提案しながら時間を かけて包交したので、患者さんはとても辛い体制をとり続ける必要があったのにも関わら ず、感謝の言葉を言ってくださっていました。ちょうど看護学生(4年制大学の 2 年生) が実習中であったので、器具や衛生材料の受け渡しをする際の清潔不潔の手技を確認し、 指導することもありました。

病室は、個室は無く、一部屋 3 人~10 名で、カーテン はありませんでした。プライバシー確保は極めて難し い状況です。処置中に関係のない人が集まって野次馬 化することもあります。このように、プライバシーと いう概念は日本ほど重視されていない印象がありま した。5月にも関わらずダナンの気温は既に日本の 8 月のようでしたが、エアコンは無く窓が解放されてい て病室の環境は、日本の病院とは比べ物にならないほ ど快適性は低いと言わざるを得ませんでした。

食事は、病院から提供されるものはなく、家族が買 ってきて食べさせることが一般的です。食事ばかりで なく、排せつ介助・清拭、洗髪は、日本では援助が必 要な患者に対しては看護師が患者の情報収集を行い アセスメントして実施していますが、ベトナムは、日 本では援助が必要なレベルな患者であっても家族が 行っていることが多く、その違いに驚きがありました。 そのため、患者家族に対する療養上の教育を行う重要 性があると感じましたので、その一つとして、臥床状 態が続く患者に対しては、皮膚損傷が起こらないよう に、定期的な体位変換の重要性を説明したりや、骨突 出部に保護材を貼付するなど、予防・教育にも現地の 医療従事者を巻き込み SMEE を実施しました。

ベトナム戦争が終わってから、何十年か経ちますが、

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地方での不発弾や地雷による負傷患者を病棟において数は少ないながらもいらっしゃいま した。また新生児の先天性異常についての啓発ポスターがあり、赤ちゃんにこのような特 徴がみられた場合は、すぐに医師に相談するようにと周知する目的で掲示されてありまし た。街中で観光していては、実感することができないですが、病院内のこのような場面に て、戦争による影響がまだまだ残っていると思わせられました。

ダナン総合病院に居た週は、幸い International Nurses Day/week であったので、ベト ナム・アメリカ・日本のチーム合同で、病棟内ナースステーションにてお祝いのパーティ ーを実施しました。その際、お互いの国の国民衛生の動向に関して、看護教育の違いなど について情報・意見交換や記念の写真撮影、並びにケーキカットを行いました。

5 12 日、13 日とダナン総合病院にて 「National burn conference」という 学会が開催されており、国内様々な発 表者に加え、米軍医師・看護師からの 報告もありました。特に「Burn Trauma: Allostasis, Depression and Early mental health intervention」という 受傷早期から多職種チームとして患者 家族に対してメンタルヘルスの側面か らの介入が必要だという発表が、3 日 間に渡り熱傷病棟にてケアに携わった 看護師としてとても興味深いものでした。

リハビリ・整形病院(5 15 日)
翌週、
Medical Surgical Nursing Side-By Side はダナンリハビリ・整形病院に場所を移

しました。前週に日本チームの勅使河原先生と柴田先生が活動されていた場所で、栄養指 導などを実施されていたようですが、看護チームはその活動を引き継ぐという形ではなく、 前週から同病院で活動している米軍医師・理学療法士・作業療法士・テクニシャンのラウ ンドやリハビリに付き添ったり、看護チームで各病棟の患者に病歴聴取を行うことに留ま りました。やはりここでも感じたことは、ベトナムの交通事情が原因とする交通外傷の多 さと、機能回復の重要性。また、どうすれば事故を減らすことができるだろうかという考 えに至りました。事故によって失ったものは、患者・家族の表情や思いに変化を与え、悲 しい気持ちにさせます。経済成長真っ只中のベトナムではありますが、経済成長の陰で、 人々の健康に悪影響があるとすれば、取り除いていく取り組みに自分も関与しなければな らないし、今回自分もこのようなチャンスを頂きましたので、引き続き携わっていきたいと思いました。

▼ダナン総合病院 救急外来(5 1617 日の 2 日間) これまで、日本チームの各先生方も、救急に 1 日~2 日おられ、野口のリーダー林先生(Family Medicine)からも救急外来に来られる様々な症例のお話を聞いていましたので、活動の最 後の 2 日間は、希望して Cap Cuu(救急外来)に場所を移しました。両日とも、林先生とと もに指導を受けながら、来院患者の病歴聴取・身体診察・バイタル測定を行い、林先生・ ベトナム側の救急医・オーストラリア軍の救急看護師・ベトナム側医学生とディスカッシ ョンしながら、可能性のある診断と処置を行うという形で、1日目を過ごしました。

膝関節痛を訴える 20 代男性の症例では、 Physical assessment を行いました。右膝 痛・腫脹・熱感が認められ、検体採取のた め、林先生が行う関節穿刺を介助しました。 検体は黄色の Fluid が採取でき、何が原因 で症状が現れているか考えるヒントを検 査が与えてくれたように思いました。救急 で医師が行う診察・検査・診断・治療の流 れのスピードと考え方に実際に触れて、医 師・看護師・国の違いを超えて、救急・医 療の面白さに触れた瞬間を味わいました。

翌日は、林先生と、杏林大学救急部の田中先生も加わって、一緒に救急にいらっしゃる患 者の診察を行いました。意識障害・腹痛・呼吸困難・眩暈を主訴とする患者に接した際に、 問診しながら、鑑別診断のために使用するツールを使用し、身体所見を探していくという 診断がついていない患者に対応する面白さを感じました。

また両日ともオーストラリア軍の救急 看護師・助産師 Lieutenant CommanderAlison Zilko さんとともに救急での診療 活動を行いましたが、非常にコミュニケー ション能力にたけており、常にベトナム人 医学生を巻き込んで、病歴聴取を行ってい ました。医師などとディスカッションしな がら、活動される姿は、あまり医師と看護 師の境を感じることはなく、自分でアセスメントして処置を選択していく、必要な検査を考えて医師に指示するなど目指すべき看護師像に映りました。

また、オーストラリアには男性の助産 師がいるけれども、日本では男性は助産 師にはなれないと話をしてみると、興味 があるならオーストラリアに来て一緒に 働こうと言ってくださり、医療は国を選 ばないと改めて実感しました。

看護学校学生・指導教員との交流

ダナン総合病院・整形熱傷病棟では、た くさんの看護学生と毎日顔を合わせ交 流を図りました。看護大学の教員からは、 PP 活動中に、日米豪の看護師を募り大学 を訪問してほしいという打診がありま したが、先方の手続きが必要であったり、 人数が集まらなかったことから実現は しませんでした。しかしながら、夕方の 時間を使い、看護大学の教員と夕食を共 にしてベトナムの看護教育や日本との 違いに関することなど意見交換を行い ました。

▼課題と成果について 今回、熱傷の病棟に看護師チームは入りましたが、熱傷に関するケアについて、事前に

ミッションが始まる前に勉強をしておく必要があったと思いました。熱傷病棟での経験は なく、アメリカ側の Wound Care CNS が行う SMEE についていくということになりました が、看護は処置以外の部分もたくさんあり、他の患者さんのニーズに応じてケアを行いま した。専門的なケアについて、経験や知識を今後深めていく必要があると感じました。

成果については、米・豪・日本だけでなく、やはりベトナム側の人たちと多くの交流が図 れて、ミッションが終わった後も連絡と取りあえる関係ができたことだと思っています。

日本チームの先生方とも、活動終了後も毎日交流を図ることができて、PP 終了後も、深い 関係が続きそうなのが、僕の大切な財産です。来年も可能であれば PP に参加できれば嬉し いですし、公衆衛生について勉強するために大学院進学も真剣に考えるきっかけとなりま した。派遣に際して、多大なご支援を賜りました佐野先生、野口医学研究所の皆様、防衛 省の方々には本当に感謝しています。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

以上