Pacific Partnership 2016へ参加して
野口医学研究所と私
卒後3年目に米国臨床留学を志し、留学準備を進めていた私は、2008年12月に野口医学研究所(以下、「野口」)の医学交流セミナーとエクスターンシップ派遣選考会に参加していた。ちょうどECFMG Certificateを手に入れた頃であり、いかにしてマッチングに臨むかを考えていた時期でもあった。初めて医学交流セミナーでは大いに刺激を受け、選考会では選考委員の先生方に貴重なフィードバックをいただいた。幸いにも選考会で合格をいただき、2009年9月にThomas Jefferson大学の小児科とその関連病院であるAlfred I. duPont Hospital for Childrenで、1ヶ月間の見学実習をさせていただいた。海外での経験が全くなかった私にとってその機会はとても貴重なものであった。病院で使われる生の英語に触れたのも、海外で生活するのも初めてで、英語力不足を痛感した。また、小児科レジデンシーにおいてレジデントたちが受ける充実した教育を目の当たりにして、モチベーションが高まるとともに、レジンシーを開始するまでに準備すべきことが明確になった。その後順調にマッチングに成功し、2010年からニューヨーク市ブルックリンにあるSUNY Downstate Medical Centerで3年間の小児科レジデンシー、2013年からオハイオ州シンシナティにあるCincinnati Children’s Hospital Medical Centerで3年間の小児集中治療フェローシップを行い、2016年6月末に帰国した。
Pacific Partnership 2016への参加
帰国が近づいていた頃、「野口」のメーリングリストでPacific Partnership(以下、PP)2016の参加要員を募集していることを知った。防衛省がNGOから医療従事者の派遣を要請していることを受け、「野口」からの参加者を募ったものである。PPは2007年から、米海軍太平洋艦隊が中心となって毎年、計画・実施している活動であり、アジア太平洋地域を艦艇等が訪問し、医療活動・土木事業・文化交流を行うものである。各国政府、軍、NGOなどが連携し、参加国の連携強化や国際災害救援活動の円滑化などを図る。日本としては、アジア太平洋地域各国へ支援を行うのみならず、我が国のプレゼンスを平素より示すこと、米・豪などの参加国との協力の強化、災害救援などに備えた自衛隊とNGOの連携強化など、その意義は大きい。PP2016では日本が主体となり米・豪・英とともにパラオで医療活動を行うことになった。もともと米国臨床留学を志したのは日本に貢献・還元したいという思いからだったため、日本の国際活動に貢献できるこのようなプロジェクトはとても魅力的に思えた。また臨床留学を支援していただいた「野口」に対しても微力ながら恩返しができる機会ではないかと思われた。幸い、東京大学の林 幹雄先生とともに私も選考され、佐野潔理事長を合わせた3人が「野口」からPP2016に参加することになった。
パラオと日本の関わり
第一次世界大戦後にパラオが日本の委任統治領となってから1945年にその統治が終了するまでの間、数多くの日本人がパラオに移住し、農業や漁業などの産業の発展、インフラの整備、学校教育の普及などが進み、パラオの生活水準は一気に向上した。その歴史から今でも日本に親しみを持っている人は多く、子供に日本風の名前をつけるパラオ人もおり、診察した中にはIKIGAIという名前の子もいた。最後の2日間に活動を行ったペリリュー島は、進行してくるアメリカ軍に対し兵力で圧倒的に不利な日本軍が死闘を繰り広げた1944年の「ペリリューの戦い」で知られる島である。ここには2015年4月9日に、天皇皇后両陛下が戦没者を慰霊するため行幸啓されている。このような背景を持つパラオにおいて日本が主体となって行うPP2016に参加できたのは光栄であった。
パラオでの医療活動
パラオは日本のちょうど南に位置し、成田から直行便で5時間弱ほど離れた島国である。バベルダオブ島にあるパラオ国際空港(Koror Airport)に到着したのは午前1時過ぎだ。空港から「日本・パラオ友好の橋」を通り、今回の主な活動拠点となるコロール島へと移動した。この橋は2002年に日本の政府開発援助 によって再建されたものである。ホテルで仮眠を取り、朝起きると日差しが強く椰子の木が見え、南国に来たのだと実感する。まずは船着き場から小型ボートで輸送艦「しもきた」に向かう。「しもきた」は2016年4月の熊本地震の際にも活躍した輸送艦で、今回パラオでの活動期間中はここで寝泊まりさせていただいた。初日は、主な活動拠点であるベラウ国立病院Belau National Hospital(以下、BNH)を下見に行くグループとパラオ地域短期大学Palau Community College(以下、PCC)で医療活動の準備設営を行うグループの二手に分かれて行動した。BNHでは、一般外来、救急外来、病棟、手術場などを一通り見せていただき、今後どのような形で医療活動を行えるのか検討した。PCCでは教室をいくつか借りて、机と椅子を並べて診察場所を確保し、自衛隊が日本から持ち込んだ医療物品を配置した。
翌日からはさっそく医療活動を開始し、最初2日間はPCCで診療を行った。朝8時前にPCCに到着するともうすでに30人ほどが列を作って待っている。歯科、眼科、それ他の一般医療チームに分かれて診療を行ったが、とりわけ歯科と眼科は初日から需要が高い。一般医療チームの患者はそれほど多くはなく一人一人にしっかり時間をかけて診療ができた。私自身、外来診療は3年ぶりで少し不安ではあった。つい最近までの3年間は小児集中治療のフェローシップをしていたので、ずっと小児集中治療室(PICU)で患者を診ていたからである。PICUはプライマリケアから最も遠い場所といっても過言ではないが、患児の病態や成長発達を把握するためにプライマリケアとの連携は不可欠である。しかも、外来診療はアメリカの小児科レジデンシーの中でも最も力を入れている部分であり、その基本は意外に体に染みついていたようで、診察を始めてしまえば不安は吹き飛んでしまった。PCCのようなリソースの限られた場所で患者に満足してもらえる診療を行うには、英語力は当然ながら、問診と診察から鑑別診断を行う能力、患者・家族へのしっかりとした説明と教育を行う能力が重要だと感じた。特に小児科では、生活習慣と成長発達に関する問診、親の悩み相談、Anticipatory guidance(次の健診までにこどもに起こりうる変化を説明し助言すること)なども不可欠だ。今回は小児科医の需要が思ったよりも高くなかったため、小児患者がいない時には英語の苦手な医師の診療を手伝ったり、こどもと一緒に受診した親がいる場合には親の診療もできるだけ行ったりするよう心がけた。
今回のPPでユニークだったのは、リソースの限られたPCCやペリリュー小学校だけでなく、ある程度リソースの整った国立病院で現地の医療チームとともに診療を行ったということである。真ん中の4日間は、我々の多くがBelau National Hospital(BNH)で医療活動を行った。「Belau」はパラオ語のBeluu er a Belau(パラオ共和国)に由来し、BNHは文字通りパラオの国立病院であり国内で唯一の入院施設を有する。アメリカの資金援助を受けていることから、診察室の作りはアメリカでも古くから見られるものと同じであった。外来では各診療科ごとに概ね1部屋ずつ診察室を割りあててもらい診療を行った。病院側も外国人医師の受け入れには慣れているようで、外来看護師はごく自然に診療を手伝ってくれ、初めて一緒に働くとは思えないくらい診療はスムーズであった。ちょうどハワイ大学からも耳鼻科のチームが診療に来ていたが、このように国外から医師が来ることは珍しくないようだ。小児科外来では入院が必要な患者が1人いたため、患者と一緒に病棟に行き病棟の雰囲気を見ることもできた。病棟はずいぶん老朽化しており大部屋がほとんどであったが、これはむしろ日本の病院に似ているところであろう。心雑音を持つ新生児の診察依頼があり新生児室に行くと、看護師がInfant Warmer(新生児の診察台)を指差し「日本からもらったものなのよ」と教えてくれた。後で調べてみると、これは日本国政府が開発途上国に対して行っている資金援助のひとつ「草の根・人間の安全保障無償資金協力」により2013年にBNHに贈呈されたものであった。
(BNHの外来で診療を行う筆者。奥にはアメリカでよく見られるタイプの診察台がある。放射線画像は電子化しているが、カルテや検査オーダーなどは紙ベースである。)
最終の2日間はペリリュー島でも活動が行われた。2015年に天皇皇后両陛下が行幸啓された際には、全島民300人ほどが出迎えたといわれているが、今回のPP2016でも連日100人近くの島民が、医療活動場所である小学校に集まった。私は最終日に活動を行ったが、小学生のこどもたちは前日に小児科健診を済ませており、その日はほとんどが歯科受診を目的に来ていた。そのため小児科医の出番は少ないと判断し、英語が堪能な看護師がいない状況も勘案し、この日は私が全患者の予診とトリアージを行った。校庭では、受診を終えたこどもや大人たちが自衛隊の隊員と野球、バスケットボール、剣道などを通じて交流していた。最終日には、たくさんの島民が船着き場に見送りに来てくれていた。後日談によると、日本の医者は次はいつ来るのかと期待している島民が多かったようで、とても実りのある活動だったと思われた。
活動を終えての所感、そして今後の課題
「野口」の佐野潔先生がNGOのリーダーとして、NGOのみならず自衛隊を含めた日本の医療チーム全体をうまく引っ張りつつ、また海外チームとの連携にも気を配っておられ、私にとってよいロールモデルとなった。私としては、小児患者が意外に多くなく活躍の場が少なかったのは少し残念ではあったが、英語の苦手な医師の診療補助や現地の人とのコミュニケーションなどでできるだけ貢献できるよう心がけた。今回のパラオでの医療活動には、米・豪・英からは、歯科医師、歯科衛生士、看護師、衛生兵などが参加しており、医師の参加はなかった。今後のPPにおいて、他国の医師と医療活動を同じくする場合には、彼らと協力しかつ対等にやっていけるだけの医師としての実力、コミュニケーション能力が必要であろう。私は小児集中治療が専門であるが、できるかぎりGeneralistとしての小児科の知識を常にアップデートするよう心がけ、英語力の向上にも研鑽を続けようと思う。
謝辞
今回のPP2016への参加は様々な方の尽力なくしては成り立たなかったものであり関係者の皆さまに謝意を表したいと思います。防衛政策局国際政策課の森野久美子さんには、日本出発前から我々NGO医師と密に連絡調整をしていただきました。鈴木艦長を始めとする海上自衛隊の皆さまには、輸送艦「しもきた」で快適な生活を提供していただき、活動を支えていただきました。また、防衛省および自衛隊の皆さまによる綿密な計画・準備と実行力なくしてそもそもNGO医師の活躍の場もなかったことでしょう。現地では、パラオ政府関係者および活動場所のスタッフの皆さまが準備を整え我々を快く受け入れてくださりました。最後に、このような貴重な機会を与えていただいた野口医学研究所および佐野潔理事長に感謝いたします。
大阪府立母子保健総合医療センター
集中治療科
稲田 雄