Thomas Jefferson University 研修レポート
【はじめに】
2024年9月23日から27日の5日間、ペンシルベニア州にあるThomas Jefferson Universityで研修を実施しました。短い期間でしたが、非常に濃密な研修を経験できたように思います。以下にその内容をまとめさせていただきます。
【Campus Tour】
留学初日はSydney Kimmel Medical Collegeの主要施設をJapan Centerの方々に案内していただきました。お昼は現地の医学生とPhiladelphia名物であるCheese Steakを食べ、普段の学生生活について語り合いました。
Tourの中で特に心惹かれたのは、図書館に置かれていた Rorschach Testのインクブロットです。他にも過去の医療器具が多く展示されており、連綿と続く医学の歴史に思いを馳せることとなりました。
Tour後には現地のレストランでWelcome Dinnerを開催していただきました。野口医学研究所の方々や、現地で働かれている先生方と交流し、派遣プログラムの歴史に加え、精神科専攻医としてのキャリアの歩み方などについて詳しく伺うことができました。Welcome Dinner後には、新しく建てられたOncologyの施設を特別に案内していただきました。研究の話も盛り上がり、実りある時間でした。
【U.S. Healthcare System & Insurance】
現地で活躍されている河合(上原)明子先生より、日米の医療政策の相違やアメリカの保険制度の特徴などをお教えいただきました。渡米前は漠然と「アメリカは医療費が高い」と思っておりましたが、人件費や薬剤費、訴訟リスクなど、様々な側面からある種必然的に医療費が高騰していることを知り、格差問題も含めていろいろと考えさせられました。講義の後半では、医療機関にかかる費用が高いために、薬局などでの医薬品が安価であることや、中絶問題に対する立ち位置が州によって異なることなど、比較的身近な医療のギャップについて学びました。医療政策に強い興味を抱いている私にとって、意義深い講義でした。
【Internal Medicine】
Internal Medicineでは、学生一人一人が各チームに割り当てられました。個々の症例について綿密にディスカッションが行われる様子は日本の回診と大きく異なり驚きました。特に医学生のプレゼンの質の高さには見習うべき部分が多くあったように思います。患者様の現在の状態、各種検査の値、問題点、今後推奨される検査や治療など、必要な情報が端的にまとめられており、回診や議論を通じて、緻密に研修に向き合わねばならないと強く感じました。
土地柄が影響しているのでしょうか、特殊な症例が多いことも印象に残りました。PTSDや薬物依存症といった併存疾患を抱えている患者に対し、真摯に、そして丁寧に対応するAttending(日本における指導医)の姿は、臨床実習で垣間見た身体科・精神科の断絶を憂う身として、頼もしく映りました。
【Family Medicine】
Family Medicineでは、産婦人科的疾患を基礎とした患者様の外来に陪席させていただきました。日本における総合診療科のような立ち位置であるFamily Medicineですが、アメリカは諸外国と比べても盛んである印象を受けていたため、今回の留学で実際の診療を拝見できて感無量でした。診察の合間に、複雑な保険制度が治療にもたらす影響について詳しく教えていただきました。また、患者様の中には検査や治療に乗り気でない方もおられ、対話を重ねる中で肯定的な方向へ患者様を誘導する先生の技量に感銘を受けました。今後日本でもプライマリ·ケアの重要性は増していくはずですので、今回の経験を忘れないようにしたいと思います。
【JeffHOPE】
水曜日の夜間には、JeffHOPEという学生主導のプログラムに参加させていただきました。このプログラムは、留学に応募しようと決意したきっかけの一つです。私は医療と社会課題の連関に強く興味を抱いておりましたので、アメリカにおける医療格差や社会構造を間近に観察できる、またとない機会であるように思いました。
JeffHOPEを端的に説明すると「ホームレスやその家族のためのシェルターにおける医療ボランティア」なのですが、驚くべきことに参加者のほとんどは学生であり、医療面接や身体診察を実際に行っていました。医薬品は企業から寄付されたもので賄っているとのことでした。下級生が上級生に指導を受け、すぐにそれを実践し、後ほどフィードバックを受けるという、持続可能性の高い仕組みに感動しました。日本では種々の制約により実施の難しい試みであるかもしれませんが、もし実施が叶えば、医学生にとって学びの大きい臨床経験になるだろうと思いました。
シェルターにいる人はほとんどがアフリカ系アメリカ人で、居住地区の問題もあるとは思いますが、構造的な格差がありありと感じられ、私にとってはいささかショッキングでした。また、家族の診察を待つ子供たちと遊んでいる際、具体的には差し控えますが、生育環境に思いを馳せる場面が何度かありました。ともあれ、私はもとより自大学で小児に関するボランティア活動に従事しており、子供の健康に長らく関心を寄せていたため、海外の子供たちと触れ合える機会を得られてよかったです。臨床実習の先の学びを得られたように思います。社会の構造や格差が子供の発育にもたらす影響についても、今一度考える必要があると感じました。
【Emergency Medicine】
Emergency Medicineでは、トリアージを行う診察室を見学しました。診療に先立って患者様の容態を的確に評価し、すぐに処置を行うべきかどうか見極めていく一連の過程は、興味深く映りました。ShadowさせていただいたDr. Lauは非常に気さくな方で、忙しい診察の合間に、普段のERの様子について教えてくださいました。また、患者様の病態を推論したり、ER内の手術室で処置の様子を見学させていただいたりと、短時間ではありましたがアメリカの救急医療を肌身に感じることができました。
【Mutter Museum】
美術館好きの私にとって、Mutter Museumでのひと時は特別な時間でした。Mutter Museumは、医学部の教授であったDr. Mutterのコレクションからなる美術館なのですが、日本では絶対に展示できない数々の貴重な標本や、精巧な模型が所狭しと飾られ、過去の先生方の標本作成の技術に驚嘆を隠せませんでした。展示物の中には、かの有名なアインシュタインの脳が含まれていました。
かつてポリオ感染により多数生じた呼吸不全の患者様のために考案された「鉄の肺」という人工呼吸器も展示されており、進化を続ける医療と、近代医学の礎を築いた医師の方々に尊敬の念を覚えました。
【Lectures by Dr. Majdan】
2日間に渡り、心音と医療面接に関して、Dr. Majdanの講義を受講しました。すぐに臨床に応用できるよう、分かりやすくポイントを教えてくださり、勉強になりました。テクニックだけではなく、医療人としての心構えなども参考になる部分が多かったです。医療面接の実演に際しては、Standardized Patients(患者様役を務めるボランティアの方)にご協力いただき、面接で得た情報を基に臨床推論を行いました。SPさんは症例をくまなく暗記されており、あたかも診察室の中にいるかのような状況で練習を行うことができました。是非とも日本の医学部に導入してほしいと思いました。
【Outpatient Psychiatry】
待ちに待った精神科実習では、Dr. Ezzoの依存症外来を拝見しました。2名の患者様の診察に陪席させていただいたのですが、うち一人の患者様とは、診察の最後に3人で会話する機会を与えられました。「患者様に質問したいことがあれば何でも聞いてみて」と言われ、気分を害さないよう細心の注意を払いつつではありましたが、お話を伺うことができました。とはいえ、緊張感が患者様およびDr. Ezzoに伝わっていたことも事実で「どのような状況でも受け身になる必要はない」との言葉をいただきました。日本の精神科実習を思い出してみると、Dr. Ezzoの取り計らいは極めて稀有なものであったと感じます。
外来全体の様子も日本とは大きく異なりました。温かみのある診察室はもちろん、診察を終えた後に都度Attendingへ上申し、フィードバックを受ける診療方式は、短期間で大きく成長できるよい仕組みだと思いました。再診の場合に確保される診察時間が一人あたり1時間程度であることにも驚きました。全ての病院がJeffersonのように潤沢な時間を設けているわけではなく、外勤先では患者様に十分寄り添えないこともあるとDr. Ezzoはおっしゃっていました。
本留学の目的のひとつとして、海外の研究事情を学ぶことを掲げていたのですが、その点においてもDr. Ezzoは大変親切でした。雑談の中で「気分障害、特に双極症に興味がある」と伝えた際、アメリカの研究事情を教えてくださるばかりでなく、Jeffersonの教授を務めておられ、気分障害の研究で高名なDr. Hannと繋げてくださいました。また、Dr. Ezzoの出身大学であるUniversity of Pennsylvaniaの話は、とても面白かったです。半日の外来ではありましたが、自分にとって得るものの大きい実習でした。
【Outpatient Pediatrics】
Outpatient Pediatricsでは、小児の一般的な疾患の診察を見学しました。AttendingであるDr. Carloはスペイン語も堪能で、多様なバックグラウンドを持つ患者様に対し、最善の治療を提供するべく心を砕いておられました。特に印象的だったのは、最後に診察室に現れた反ワクチン主義の親御様とその子供に対する彼女の接し方です。このような親御様は日本でもしばしば問題になります。「コミュニケーションの取り方ひとつで、ワクチンが嫌いな人も考え方を変えてくれることがある」という彼女の言葉は含蓄に富んでいました。また、小児科に特化したカルテのシステムは洗練されており使いやすそうで、日本にも導入されるべきだと感じました。付近にあるフィラデルフィア小児病院と連携を取るにあたり、統一されたカルテはとても便利だとおっしゃっていました。
【終わりに】
就職試験や自身の作家活動、学業との兼ね合いで、当初は応募さえ迷っていた私でしたが、豊富なカリキュラムおよび関わってくださった素晴らしい方々との交流の機会は、ここでしか得られなかったものであると、確信を持って言うことができます。普段の学生生活では享受することの叶わない貴重な経験を積めました。同時に、米国の意欲ある先生方の姿を拝見し、学び続けること、挑戦し続けること、機会を逃さないことの重要性を痛感しました。
カリキュラムの最後には、現地で心臓外科医として働かれている坂田智基先生のお話を伺う機会がありました。コロナ禍の困難を乗り越え、リサーチフェローからクリニカルフェローに転身し、現在進行形でアメリカの最先端の手術に臨まれている先生のお話は、刺激的で面白く、今後の自身のキャリアを考えていくにあたり参考になりました。これまで「研究/臨床留学に挑戦したい」とおぼろげながら考えていたのですが、坂田先生の基礎研究のお話を伺う中で、研究費や環境の側面、情報のアクセシビリティにおいて、米国は大変に魅力的な環境であると感じました。また、目的達成のための強いモチベーションが何よりも大事であることを学びました。
私は現在、叶うならば精神科の領域で、臨床·研究の双方に携わることを目指しています。一方で、各種のLimitations(研究の適性があるのかどうか、執筆業や出産・子育てとのバランスはどのように調整するのか)を前に、限られた選択肢しか残されていないのではないかと感じる場面が多々ありました。特に高学年になり、現場の先生方からお話を伺う機会が増えると、女性医師が留学すること自体、たとえ家庭の十全なサポートがあったとしても、現実的に困難であるように思いました。しかしながら、今回の留学では、私のある種無謀とも言えるキャリアを否定するどころか、むしろポジティブな言葉をかけてくださる方が多かったように思います。視野狭窄に陥っていたのは自分の方かもしれません。特に女性で家庭を持ちたいと考えている人の場合、既存の天井を打ち破り、見地を大きく広げるきっかけを得るという意味でも、本留学は大いに有用であると考えます。まだ感受性の固まりきらない時期に渡米できたことを嬉しく思います。今回の留学で得たもの、感じたことを忘れず、いずれは脳の暗闇を照らすような研究を進めてまいります。
佐藤先生のご厚意により、野口アルムナイのコミュニティを通じて、スタンフォード大学精神科の篠崎先生や、同門でアイオワ大学精神科にいらっしゃった結城先生など、素敵なご縁にも恵まれたことを付記させていただきます。いつか人生を振り返る瞬間があるとすれば、間違いなくこの留学は転換点になるだろうと考えているところです。
秋口のフィラデルフィアは気候がよく、大学付近の治安も穏やかであり、想像より落ち着いた環境で5日間の研修を行うことができました。Jeffersonでの日々を噛み締めつつ、今後ますます勉学に励み、唯一無二の医師を目指していきます。
【謝辞】
今回の留学は、今後の進路に迷いを抱いていた私にとり、大変貴重な機会となりました。選考会にて私にチャンスをくださった選考委員の皆様、渡航前から渡航後までの長きにわたり様々な手続きにご協力いただいた野口医学研究所の木暮貴子様、中西真悠様、掛橋典子様、香月あゆみ様、三宅香連様、Welcome Dinnerで素敵な話を聞かせてくださった堤大造様、梅村崇貴様、森野雄貴様、Michael Kenney様、佐藤隆美先⽣、寺井瑞江先生、足立一彦先生、実習にてお忙しい中心優しくご指導くださったDr. Kuchera, Dr. Zimmerman, Dr. Cymring, Dr. Lau, Dr. Majdan, Dr. Ezzo, Dr. Carlo, JeffHOPEでお世話になったSydney Kimmel Medical Collegeの医学生およびDoctorの皆様、現地で数々のご助力をいただいたJapan CenterのYumiko Radi様、Vincent Gleizer様、素敵な宿泊場所を提供してくださったMartin Hallの皆様、実習の最後にクリニカルフェローとしてのロードマップを教えていただいた坂田智基先生、その他留学にあたり手を差し伸べてくださった全ての方々に心より御礼申し上げます。共に研修を行った、優秀で意欲的で、それぞれ魅力に満ち溢れた4名の仲間たちにもとびきりの感謝を述べ、本体験記の筆を置きたいと思います。改めまして、本当にありがとうございました。