米国財団法人野口医学研究所

野口エッセイコンテスト 入賞作品
〜夢〜 10年後、あなたが成し遂げていること

野口エッセイコンテスト
入賞作品
〜夢〜 10年後、あなたが成し遂げていること

祖父の教えは「イショクドウゲン」

中原愛水

鹿児島大学 医学部 医学科 2年

「医食同源。じいちゃんの口癖だったね」。
 祖父のお墓参りの道中。母が呟いた。
 「そうだね。この言葉が私の人生に大きな影響をもたらすとはねえ。」
 私はそう言うと雨模様の空を眺めながら、この言葉を初めて聞いた10歳の時のことを思い出した。
 「イショクドウゲン?」
 私は初めて聞いた時、まるで呪文のようなこの言葉の意味を全く理解していなかった。
 「健康の要は食だ。食を大切にしなさい。」
 それ以上、祖父は何も語らなかった。
 それから間もない頃。保健の授業でのこと。
 「お菓子ばかりの食事などの偏食、運動不足は病気を招きます。」
 お菓子大好きで、好き嫌いが激しかった私はドキッとした。このままだと私病気になる?でも若いから大丈夫だよね?
 「かつては成人病と呼ばれていたが、今では小学生も含め、若い年代でも増えているので、生活習慣病と名称が改められました。」
 先生は追い打ちをかけるように続ける。若くても大丈夫が通用しないらしい。
 その日一日私は病気になるのが怖くて、何かにとりつかれたような感じだった。暗い面持ちで帰宅し、お菓子を食べず、晩御飯も苦手な里芋が出ていたが、残さずに食べた。
 「今日はやけにお利口さんね。どうしたの?」
 不思議に思った母が尋ねた。生活習慣病について話した。すると、母は感心したように、
 「食事は大切ね。今気づけば、大丈夫よ。」
 「父さんは、独身時代は病気に悩まされたけど、母さんと結婚して、栄養のとれた食事を食べるようになってから、病気とは無縁だな。」
 「健康と食は根本で繋がっている。これこそじいちゃんの口癖の医食同源ね。」
 母が微笑みながら言った。イショクドウゲンという言葉が医食同源に変換された瞬間だった。それから、私は食と健康に興味を持った。ずっと貯めていたお小遣いで、栄養学、医学に関する本を買い、また、図書館に通いつめて、本を読み漁った。食事を変えることで、糖尿病等の病気が改善し、中には精神疾患も改善したケースもあった。また、食品添加物の増加で米国では奇行や小児のアレルギーなどが顕著に増加したなど、目から鱗の情報を多々知り、いかに食が健康にとって大切かを感じた。また、本を通して、日野原先生と出会った。成人病を生活習慣病に改め、生活習慣病を広めた第一人者である。私も生活習慣病の理解を広める医師になりたいと密かに思うようになった。
 そんな頃だった。一段と冷え込んだ明朝。普段は静かな固定電話が鳴り響いた。
 「えっうそでしょ。嘘だと言って…」
 泣きむせる母の声。電話はおじの訃報を知らせるものだった。心筋梗塞で倒れ、必死の治療を受けるも、帰らぬ人となった。会うたびに「大きくなったね」「頑張っているね」と我が子のように接してくれた叔父。思い出が走馬灯のように駆け巡り、涙が溢れた。
 「後悔してもしきれない。」
 通夜会場で母と話す叔母のその言葉が頭から離れなかった。以前から乱れた食生活に、不規則な生活を何度も医者に注意されていたが、「特別困るような症状はないから大丈夫」と、改善しなかったらしい。生活習慣が原因でこんなことになるなんて思いもしなかったのだろう。また、通夜を終え、皆が食事をしている時、グルメなおじさんが何も食べずにいた。話を聞くと、人工透析が必要なまでに糖尿病が悪化し、食事制限をしているとのこと。
 「糖尿病の治療に真面目に取り組めばよかった。そしたら、透析なんてしなくて済んだのに。制限の多い生活は苦しい」
 と涙ながらに語る姿も忘れられない。
 生活習慣病は、治せる病気でもあり、予防もできる病気だ。食習慣を正し、規則正しい生活をすれば、誰だって健康な日々を送れる。生活習慣病は初期症状がなく、長い年月をかけ、私たちの体を蝕む。生活習慣の努力次第で予防もできるのに、増加の一途をたどるのは、生活習慣病の怖さや生活習慣の重要性の知識不足、習慣化することの難しさが根底にあるのだろう。この日、医師という密かな憧れが明確な夢に変わった。「生活習慣病の正しい知識を広め、さらに予防医療や栄養療法を普及させる医師になる」机の前の壁に貼り、その日から猛勉強に励んだ。
 そして、平成から令和へと大きな時代の変化を迎えた2019年、医学部に入学した。夢への一歩を果たし、医学の勉強に同志との出会い。希望に満ち溢れていた。一年生の時には長期休暇を利用し、地元の病院の見学や医師、患者へのインタビューをすることができ、二年生以降で予防医療、栄養療法の進んだ欧米諸国への留学や生活習慣病の専門病院への見学も計画していた。新な世界への扉。まさか、その扉をいまだ開けられずにいるとは思いもしなかった。言わずもがな、新型コロナウイルスの影響だ。いつ行けるのか、先が見えない。このまま留学する機会を逃すのではないか、など考え始めると不安や焦りは募るばかり。そんな時心の支えになったのが、「変えられるのは自分と未来だけだ」という野口英世氏の言葉である。この現実を変えることはできない。だが、考え方を変え、自分自身を高め、未来をよりよくするための努力はできる。これを機に、留学で語学の壁に悩まぬようオンラインでの英会話学習を始めた。また、母に代わって健康的な料理の献立を考え、毎食作るようにしている。薬膳料理や各疾患の治療食など献立は多岐に渡る。かれこれ1年が経つが、英語、料理の腕前も上達した。将来の自分を支えてくれる力になるだろう。
 これからの10年、国家試験に研修医など様々な経験をする。心身ともに楽ではない道のりだろう。しかし、生活習慣病を予防する食生活や食事で体や心の健康を保てること、食事で病気を治せる可能性が十分にあることを一人でも多くの人に広め、一つの選択肢として、広がってほしい。この想いを忘れずにいたい。そして、10年後の私は後期研修医を終え、ようやく医師として1人立ちできる。その時に私は、栄養療法を取り入れ、さらに予防医療や習慣化の講習などを取り入れた病院を作りたいと考えている。「1人立ちしたばかりの30歳の医師にそんなこと無理だ。」との批判があるかもしれない。だが、野口氏は言った。「少しも恐れるところがない。何事かをなさんためがために生まれてきたのだ。」と。彼にとってのなすことは、細菌という敵と戦い、感染症の研究を行い、人の命を救うことだった。私のなすことは、生活習慣病という敵と戦い、予防医療や栄養療法を普及させることで、一人でも多くの人の健康と笑顔を守ることだ。このことは、今後さらに深刻化する高齢社会に伴って生じる社会問題の解決策にもなる。例えば、人々が健康であれば、医療費が削減され、社会保障費の節約になるのだ。人々の健康を守ると同時に日本社会の立て直しにもつながりうる予防医療。一刻も早い取り組みが必要だ。立ち止まっている時間などないのだ。野口氏が進み続けたように私も恐れずに進み続ける。

 「おじいちゃん、医食同源を教えてくれてありがとう。」
 目をつぶり、手を合わせながら、呟いた。嬉しそうに笑う祖父の笑顔が浮かんだ。目を開けると、雨模様は嘘だったかのうように、晴れ渡り、空には大きな虹がかかっていた。