野口エッセイコンテスト 入賞作品
〜夢〜 10年後、あなたが成し遂げていること
野口エッセイコンテスト
入賞作品
〜夢〜 10年後、あなたが成し遂げていること
伝えたいこと
小学生の時、食事の時間は憂鬱だった。食べることは大好きなのに、その前に必ず行わなければいけない試練があるからだ。大大大嫌いな注射。指先に細い針を刺して血を一滴絞り出し、血糖値を測る。これから食べる食事の糖質を計算して、血糖値を考慮した最終的なインスリンの量を決めて自己注射。これをしないとご飯を食べることはできない。しかも一生。原因不明、治療法も未だ見つかっていない病気、それが「一型糖尿病」である。
小学5年生の冬、私はこの病気を発症した。病院で診断を受けたとき、“絶望”という文字が頭をよぎった。一緒にいた母は、私の手を強く握って「大丈夫。」と何度も言った。真っ直ぐな眼差しの奥に垣間見える悲しみや不安、そして愛情が、痛いほど胸に刺さったのを今でも鮮明に思い出す。
幼かった私にとって、病気を受け入れるのには時間がかかった。毎晩、病室のベッドで静かに泣いた。カーテン越しに寝ている母にばれないように、たくさん泣いた。入院中、母はつきっきりで私を支えてくれた。辛い注射も、病気と付き合っていくための勉強も、何度も投げ出したくなったが、「凜香ならできる。凜香は強いから、乗り越えられるから、神様が試練を与えたんだよ。」その言葉が、いつも私の背中を押してくれた。本当は、母が私に隠れて泣いているのを知っているけど、それはお互い様かな。
退院後は全て自分で管理しなければならない。でもやっぱり、注射は苦手だ。食事の時間が近づくと思わずため息が出る。特に学校給食の時間は嫌いだった。みんなが配膳をしたり、席について食べ始めたりするころに、私はこっそり保健室へ向かう。周りのみんなと同じ生活ができないことがなによりストレスで、苦しかった。私は何もしていないのに、しかもまだ若いのに、「糖尿病」というレッテルを張られている自分が恥ずかしくて、大嫌いだった。
そんな私も、今では病気に感謝している。病気になってよかったとさえ思う。なぜなら、病気が私に大きな夢を与えてくれたから。
“管理栄養士になりたい”
食事に気を配るようになり、栄養学に興味を持った。病気になっていなかったら決して持つことのなかった夢。私にとってかけがえのない、大切な夢である。
私が辛いとき、支えてくれたのはいつだって家族だった。食事の時間が憂鬱だった私のために、美味しくて栄養のあるご飯を毎日考えて作ってくれた母。寝る間も惜しんで病気のことを誰よりも一生懸命に勉強してくれた父。少しでも私の助けになりたいと医学に興味を持ってくれた兄。家族の支えがあったから、病気と上手く付き合うことが出来た。だからこそ、この経験を無駄にしたくない。病気を武器に変えて、私にしかできないことを成し遂げたい。それが、家族への恩返しになると確信している。
夢を叶えるために選んだ大学。私は希望と期待でいっぱいだった。しかし、現実は思うようにいかない。2020年の春、新型コロナウイルスの感染拡大により、全世界が恐怖に包まれた。入学式は中止となり、当然学校にも通えない。ニュースで目まぐるしく情報が飛び交う中、基礎疾患を持っている人の重症化リスクというのは私の中で最も恐ろしい情報だった。インタビューを受けている若者は、こう言った。「自分は若いので、まあ大丈夫だと思います。」私も、傍から見たら若くて健康な人なのだろう。でも実際は違う。重症化のリスクなど、知らない人からしたら関係のないものなのかな…。世の中に、少し絶望した。自分さえよければいいという浅はかな考えが、取り返しのつかない事態を招いているのだ。それがいずれ、自分や、自分の大切な人を失う可能性につながっているというのに。
この緊急事態に、管理栄養士は何ができるだろう?ネットやテレビで取り上げられている医療従事者は医者や看護師がほとんどだ。管理栄養士は、自らの手で人の命を救うことはできない。「塩分控えましょうね。」「野菜をもっと積極的に摂りましょう。」こんなことを言ったって、最終的には“口うるさいおばさん”にしかなりかねない。そんなのは嫌だ。私は、“人の栄養を管理する人”にはなりたくない。“一人一人が自身の栄養管理が行えるように指導する人”を目指したい。それが、新型コロナウイルスだけにかかわらず、多くの病気を予防する軸になるのだと思う。大学の教授がこんな内容の話をしていた。「ビタミンDの不足が新型コロナウイルスの感染と重症化に影響している可能性があるというデータがあります。ビタミンDは食事のほかに太陽の光からも生成されるものですが、日照時間が少ない北海道では現在感染拡大が勢いを増していますよね。もしかしたら、このビタミンDの不足が関与しているのかもしれません。」私ははっとした。今の日本では、感染の予防として手洗い・うがい・マスク・消毒などを行うのがエチケットだ。けれど、感染予防として「栄養」を意識している人は少ないのではないだろうか。最も基本的で身近な「栄養」という名の予防に、もっとたくさんの人が気付いてほしい、目を向けてほしい。世界では貧困で十分に食事ができない国が多く存在し、さらにコロナの影響で食物の不足も著しいということをインターネットで知った。私は深く反省した。もっと視野を広げるべきだった。病気がなんだ。注射さえ打てば好きなものを選んで食べられるというのに。当たり前だと思っていた幸せに、気づけなかった自分が情けない。日本では食を選択する自由があるのだ。それがいかに幸せで、素晴らしいことか。食事という「習慣」が「予防」となって、「予防」が「健康」として成果を上げるまで、私は声を大きくして主張し続けたい。
管理栄養士として働く際には、必ず対象者がいる。健常者?高齢者?もしくはスポーツ選手?誰を対象にするとしても、私の中で大切にしたいことがある。それは、「食」を通して相手と心を通わせること。「食」は体を作ると共に、人間関係を深めてくれるものだと私は思う。食事による病気の予防がたくさんの人の健康に繋がるように、「食」から笑顔が派生していく、そんな世の中が私の理想だ。
10年後、誰を対象にどんな仕事をしているかはまだわからない。だけど、大きな一つの夢として、必ず成し遂げたいことがある。それは、家族を対象に「食事」で笑顔の輪を広げること。漠然としているように思うかもしれないが、私にとって一番と言っていいほど大切な目標だ。およそ10年前、病気を発症し、夢を見つけた。そして現在、困難に立ち向かいながらも夢に向かって少しずつ歩みを進めている。10年後、管理栄養士として、立派に成長したところを家族に見せるために。
今度は私が、栄養たっぷりの美味しいご飯をたくさん振舞うんだ。みんなで食卓を囲んで、笑いながら昔話がしたい。そして恥ずかしがらずに伝えたい。
もう、病気をマイナスにとらえる私はどこにもいないよ。
ずっと支えてくれて、ありがとう。
夢を与えてくれて、ありがとう。