米国財団法人野口医学研究所

野口エッセイコンテスト 入賞作品
〜夢〜 10年後、あなたが成し遂げていること

野口エッセイコンテスト
入賞作品
〜夢〜 10年後、あなたが成し遂げていること

「苦手だらけ」のわたしだからこそ

竹下実佑

鹿児島大学 医学部 保健学科 / 看護学専攻 3年生

 人に話しかけられない、自分の考えがうまく伝えられない、相手の話から正しく意味をつかめない、人と話すときに落ち着きを失くしてしまう。苦手なことはたくさんあるけれど、自分なりにうまくやってきたつもりだった。こういう性格なだけだろう。大学まで進学したけれど、今まで大きな問題が起こることはなかった。不器用で看護技術はなかなかうまくできないけれど、練習すればできるようになるはず。一生懸命勉強すれば、ちゃんと看護師さんになれるよね。大学3年生になって、臨地実習に行くまでわたしはこう思っていた。
 わたしが通う大学では看護学専攻の学生は、3年次の秋から冬にかけて臨地実習に行く。およそ半年間でいくつかの病棟を回りながら、各病棟で患者さんを1人受け持ち、現場の看護師と看護ケアを考え実施する。講義や技術演習で習得してきたことを生かす重要な実習だ。不安ではあった。でも、どの学生も実習に関しての不安を口にしていたから自分だけではないと思っていた。大変なのはみんな一緒、きっとなんとかなる、と。でも、わたしは3年生になってすぐに実習担当の先生に告げられた。「あなたを実習に行かせるのは不安です。専門の先生に一度相談して、あなたが実習を乗り越えられるようにどうしたらいいか考えた方がいいと思うの。」先生、どういうことですか?専門の先生って?わたしってそんなにダメなの?その後、勧められるまま専門の先生の所に行った。その先生の口から学習支援という言葉が出たとき、自分の問題の重大さが分かった。そうか、自分は他の学生と違ったんだ。今までうまくやれていたつもりだったけれど周りから見るとそうではなかったんだ。迷惑をかけていたんだ。「支援の先生をお願いしましょう。大丈夫、苦手なところを助けてもらうだけでちゃんと実習はできるから。患者さんの前で落ち着きを失くしてしまったり、大事な話を整理できなかったりすると困るでしょう。」先生の言葉を頭では理解できた。だけど心は理解してくれなかった。支援を受けてまで、周りに迷惑をかけてまで看護師になる意味があるのだろうか。人の命を扱う仕事に自分がつけるのだろうか。それに、医療にかかわらなければ、看護師を目指さなければ自分のダメな部分が暴かれてしまうことはなかったのかもしれない。他の将来を選択していたら、ダメなわたしを隠していられたんじゃないかな。看護学を学んで3年目、看護師になるという夢が揺らぎ始めていた。
 看護学生の実習は、全ての患者さんが受け入れてくださるわけではない。学生が長時間そばにいることをよく思われない方も当然いらっしゃるし、病状や治療方法の関係で学生がつけない方もいる。病気で辛い思いをされている方が自分の実習を受け入れてくださっていると思うと、申し訳なさに押しつぶされそうになった。
 実習ではできないことだらけだった。基本的な看護技術でさえ満足にできないし、患者さんとの会話も思うように続かない。指導看護師さんに担当患者さんについて報告をしないといけないのだが、うまく言葉が出ず、言葉の代わりに涙が出たこともあった。他の学生より、自分ができていないことはすぐに感じた。毎日、実習の終わりに実習グループで反省会を行う。学生が実習で自分が行ったことや学んだことを発表しあうのだが、他の学生の発表を聞けば聞くほど、わたしの胸の中にある劣等感は大きくなるのだった。
 しかし、わたしのこの気持ちは続かなかった。1人の患者さんが変えてしまったのだ。長い実習も折り返しに差し掛かるというときだった。高齢の患者さんに、「あなたはいい看護婦さんになるはず」と言われた。この方はかがむのが難しく、着替えや足の清潔動作には介助が必要であった。この言葉は靴下を履かせたときに、「爪がずいぶん伸びていますね、切りましょうか。」とわたしが声をかけたことに対しての言葉である。褒められて嬉しかったけれど足の爪なんて、看護師でなくても切ることができる、優しい方だからこんなことを言われるのだろうとわたしは思った。だから、「そんな、これくらい普通のことですよ。」と思わず言ってしまった。するときっぱりと「違うよ。」と否定の言葉が返ってきた。「違う、あなたが、靴下を丁寧に履かせてくれたから気づいたんじゃないの。なかなか気づかないわよ、爪なんて。自分では切れないし伸びていることにも気がつかなかった。助かったわ。」驚いた。靴下を履かせるということでさえ、スムーズにできない自分にいらだっていた。他の学生が履かせていたら、もっと早く靴下を履けていたはず…。わたしはこう思っていたのだ。そうか、丁寧だと見てくださったんだ。爪を切るなんて本当に些細なことだけど、この方にとっては必要なことだったんだ。いつもは憂鬱で仕方がなかった、実習後の反省会でわたしはこのことを発表した。患者さんの爪が伸びていることに気がついて、切ることができた。たったそれだけ。同級生たちに比べるとあまりにちっぽけなことだった。だけど、もうわたしの胸の劣等感は消えていた。靴下を履かせ終わって顔を上げたときに、目に飛び込んだのは患者さんの笑顔だった。患者さんをほんの少しだけど、確実に幸せにすることができた。嬉しかった。
 たくさんの人に助けてもらって、わたしは臨地実習を終えることができた。この半年ほど人のやさしさを感じたことはない。同時に、どうしたらうまくできるか試行錯誤した半年間でもあった。看護学生として評価するならば、わたしの実習の評価は低いだろう。それでも、わたしは自分を褒める。半年間でわたしは大きく成長したのだから。
 苦手なことは、やっぱり苦手なままだ。短い話を聞くときでもメモ帳とペンが欠かせないし、緊張すると体が動いてしまう。会話を楽しむということも、わたしにはとても難しい。だけど、捉え方が変わった。苦手がないことが大事なのではない。それを乗り越えることに価値がある。苦手なことがあるのなら、何か工夫をしてみよう。助けてくれる人だってたくさんいる。わたしにも、誰かを助けることができるはず。
 今までのわたしには、未来を想像する余裕さえなかった。自分のようなダメな学生が将来を語るなんてという思いがあった。しかし、長期間の実習を経てたくさんの人と出会って、自分のやりたいことが見つかった。わたしは、自分のようにコミュニケーションについて悩みながら生きている人を支えたい。医療の現場でコミュニケーションが果たす役割は非常に大きい。看護師には、なおさらそれが言えるだろう。患者さんを支えるため、チーム医療を調整するため。他にも看護師のコミュニケーションには多くの目的がある。コミュニケーションに苦手を感じるわたしが、看護師になるからこそ伝えられることがあると思う。自分が看護師として働く姿と、苦しんだ経験を生かして同じような悩みを持つ人を助けたい。たくさん助けられているわたしだから、できることがある。苦手なことがたくさんあっても、医療スタッフとして誰かを幸せにすることができる。10年後、胸を張ってこう言いたい。