米国財団法人野口医学研究所

野口エッセイコンテスト 入賞作品
〜夢〜 10年後、あなたが成し遂げていること

野口エッセイコンテスト
入賞作品
〜夢〜 10年後、あなたが成し遂げていること

世界を平和にするために

福室自子

杏林大学 医学部 医学科 4年

 私の10年後の夢、それは世界平和の足がかりとなることだ。東京の大学に通うたかが医学生ごときが何を言っているのかと、笑われそうな夢かもしれない。自分でも口に出すたびにこんな大口を叩いていいものかと尻込みしかける。しかし私は本気だ。この夢を叶えると約束したから。
 私は再受験して医学部に入り直している。元々は看護学部出身だ。そんな私が医学部を志したのは、家庭医になりたいと思ったからだ。
 私が生まれた1993年10月19日のちょうど5年前、1988年10月19日に私の祖父は進行性の胃癌で亡くなった。同じ酉年ということもあり、親戚中から「よりちゃんはおじいちゃんの生まれ変わりだね」と言われ続けて育ってきた。祖父は親戚の中でも人格者として名が通っていたらしい。幼心に、そんなすごいおじいちゃんの生まれ変わりだなんて、なんて特別な響きなんだろうとニンマリしていた。しかし、少しずつ大きくなるにつれて「なぜ祖父が死ななくてはいけなかったのか」「人はなぜ生きているのか」「一体誰が命に期限をつけるのか」そんな生命に対する終わりのない問いを自問自答し続けていた。だからこそ、命を扱う医療者という職業に尊敬と畏敬の念を持つようになり、自然と目指していく自分がいた。その中でも看護師という職業を選んだのは、自分がちょっとした風邪になるたびにかかる診療所で、いつも笑顔で優しく背中を撫でてくれる看護師の姿が誰よりもかっこいいと思ったからだ。そして私が大学受験の現役生だった頃、ナースプラクティショナー(NP)という看護職が海外にはあることを知った。アメリカなどの諸外国では、NPが診療、薬の処方などを行っていると知り、看護の可能性を感じた。また同時期に、日本で医師と同じように診療に近い行為のできる看護師資格が「特定看護師」という名前で確立されたものになるとテレビで報道されているのを観た。自分がなりたい将来の姿はこれだと確信した。もしも地域にこのような看護師がいれば、最期は家で過ごしたいと願っても、末期のがん患者を地域で支えるほどの医療体制が整っていなかったがために病院で亡くなった祖父のような患者が、安心して地域に戻ることができると思ったのだ。そんな思いを胸に抱いて看護学部に入学した。しかし入学して早々に、当初予定されていた「特定看護師」が特定の医療行為のみを医師の指示のもと行うという限定的な業務拡大しか行われない資格になったと知った。つまり自分が考えていたような、看護師が地域で患者を看て、自らの判断で診療や薬の処方を行うことは想定されていなかった。そんな結末にショックを抱きつつも、訪問看護師として働くのもアリだな、など路線を変えようとも考えていた。
 「どうすれば地域で過ごす人々を見守ることができるのか」この問いに対して、在学中に活動していた地域医療を学ぶサークルにて家庭医と出会ったことで、新たな道ができた。家庭医は、医学の専門領域、患者の性別や年齢にとらわれることなく、あらゆる患者を受け止めかつ家族も地域も診ることのできる「地域のなんでも屋」である。そんな先生たちに数多く出会うたび、「家庭医となって、看護学部で身につけた知識や考えを活かして地域で医療を行うことが今の私にできる最大限の理想の医療者像」だと考えるようになったのだ。そこで看護学部卒業後に一念発起して医学部に入学した。しかし、現実はそう甘くなかった。
 テストや課題の日々、少しでも気を抜けば留年する。一緒に進級が叶わなかった友人たちを何人も見てきて、明日は我が身だと必死に勉強していた。医学の勉強をすればするほど、ただテストに合格するためだけに毎日を犠牲にしているようにしか感じられなくなった。他のことに興味を持たない、持てなくなっていることにすら気づかなかった。「なんのために医学部に入ったんだっけ?」そんな気持ちのまま日々を消化していった。いい家庭医になりたい、という気持ちが、専門医の資格が取れればいい、国家試験に合格できればいい、となっていき最終的には、進級できさえすればいいという低次元な目標しか立てられなくなった。さらに、入学してからあらゆる人に投げかけられる「自子は意識が高くていいね」という言葉。看護学部を卒業してから医学部に入ることがそんなに意識が高いことなのか?何か目標を持って大学に入ることをある意味冷笑しているかのように聞こえ、「いい家庭医になりたい」という夢を口に出さなくなっていった。夢を語るのが、バカバカしいとさえ思い始めた。
 そんな矢先に、新型コロナウイルスに感染した人が豪華客船、ダイヤモンド・プリンセス号内にいるというニュースが日本中を駆け巡り、新学期からの登校はなくなった。正直、「これで休める」と思った自分がいた。そして今まで体験したことのない自宅学習の日々が始まった。それは本当に優雅なもので、朝は7時に起きて白湯を飲みヨガをするところから始まる。朝ごはんには自分で作ったフレンチトーストを食べて、J-WaveのラジオをかけながらWeb上で配布されたレジュメを見ながら勉強していく。「こんなに自分の好きなことを楽しんでいいんだ」人生を楽しむ罪悪感から解放されたのは、大学に入ってから初めてのことだった。ある日いつも聞いているJ-Waveから、京セラが開く、著名人と学生の対談型授業の募集があるという情報が耳の中に流れ込んできた。ゲストはクリエイティブディレクターの箭内道彦さんである。ゼクシィや東京メトロの広告を手がける日本を代表するクリエイターの方であり、幼い頃から彼の作品に魅了されてきた。とりあえず応募した。なぜかわからないが、会いたい、話を聞きたいと自然と思ったのだ。学生は5人しか選ばれないのだが、なぜか選ばれ、お話を伺うことができた。有名人だからと偉ぶるでもなく、訓示を垂れるでもなく、ただただ私たち学生の話に耳を傾けてくださり、自らの経験から絞り出した珠玉の言葉を沢山送ってくださった。そんな彼がふと話したのが「僕の夢はね、世界平和なんですよ」こんなに有名な人が、こんな夢を語るのか?と虚を衝かれたような感覚だった。だが、純粋に、しかし言葉を選びながら会話を紡いでいく彼の姿に嘘はないんだと感じた。そして、「私の夢も世界平和だったんだ」と確信した。ずっと胸に仕舞い込んできた「誰一人残らず、この世界に住む人みんなが幸せだったらいいのに」という気持ちを自分が本当は持ちあわせていたし実現させたいと思っていたことにはたと気づいた。夢を語っていいんだ、やりたいことを誰かに茶化されたり、笑われても目指していいんだと気づかされた。そして箭内さんに「自分も世界平和を目指したい。どうやったら目指せるか」と尋ねると「難しいけど、まずは周りを幸せにしていこう。医療ってすごい力を持っているよ。一緒に世界平和を目指していこう」そう言って頂けた。
 その日を境にして、私の生きる姿勢が変わっていった。どうしたら医療で世界平和を目指せるか。私が本当にしたいことは何か。周りの人のためになることは一体なんなのか。考えた末に出た答えは「いつか必ず、NPと家庭医が共に活躍し地域の健康を守っている国に行って、医療政策を学んでくる。そして、日本のどの地域にもNPを根付かせ、日本の医療を守れるような独自の仕組みを作る」これだった。この夢は日本の医療に平和をもたらす可能性を示唆する一端でしかないが、「自分の周り」でありかつ「世界の一部」でもある日本を医療で幸せにすることができれば、世界平和に近づけるのではないだろうかと考えた。そして何より、周りの人を幸せにできるという世界平和の最初の一歩が踏み出せると感じた。現在、すでに日本にもいくつかの大学院でNP養成コースは設立されている。そして、病院内で養成コース修了者が特定行為を行うことが認められている。しかし実務には「医師の指示のもと」という枕詞のような8文字が必ず必要となる。NPに、より裁量権が付与されているアメリカでは診療・検査のオーダー、処方、外科処置などもNP自らの判断で行うことができる。日本全体での医師偏在が叫ばれる昨今である。キャリアを積みながら自らの技術を研鑽していきたいと考える医師が都市部に集中することは想像に難くない。山間部も多く、限界集落も多数存在する地方で常勤医が足りないという現実も多くの医師から伺う。だからこそ地域で働く看護師を対象とした地域NPコースを設立したいと考えた。
 私が考える地域NPのスキルの柱は2つある。1つは患者の診察、アセスメント、処方をある程度こなせるようにし、トリアージをした結果対応が不可能だと自ら判断した場合には近隣の病院への搬送などを行えるというものである。訪問看護の実習中に何度か出くわしたのが、在宅療養者の自宅に訪問看護師が訪れた際に状態が悪化していても電話で主治医にその後の対応を仰がなければならないという場面だ。今患者の目の前にいる訪問看護師がバイタルサインと共に現在の状態を評価し対応できるシステムを作れればより迅速に患者の苦痛を軽減した対応が可能となる。2つ目は地域アセスメントの理論を学び、地域で生じる健康課題にも自ら取り組めるようになることだ。いわば地域診断を行ってそれに対して自ら行動を起こして健康教育を地元住⺠に行えるようにするのだ。すでに行っている地域の看護師の方もいらっしゃるだろう。ここに1つ目のスキルを併せ持つことでさらに看護師主体となった地域の健康づくりが可能となるのではないだろうか。この2つのスキルを身につけた地域NPが日本中で活躍することができれば、健康満足度の高い地域住⺠が増加することや、各地域を往復したり派遣される医師の労働時間の短縮にもつながる。もちろん、地域NPだけで地域医療を担うのは難しい。そこで、各地区・地域にNPを配置しながら、約10~20地域を管轄する家庭医を置くことで、より専門的な知識や指導を家庭医が伝えることができ、地域NPの活動をバックアップできるようにしたい。人々の暮らしや生きることに直に触れる看護師という職だからこそ提供できる医療が、そこにはあると私は確信している。今から10年後、私は家庭医専門医を取得して数年後、または取得後すぐの時期であろう。この時期に家庭医として海外で働きながら現地のNPと家庭医がどのように連携することができるのかを肌で感じ、海外で医療政策を学びたい。その経験を元に、その時代の医療の流れや日本での地域医療を取り巻く課題を巻き込んだシステム作りを行おうと考えている。自分にしかできない経験を積むことで私自身がその先の世界平和の足掛かりになれると信じている。
 この夢を叶えられる未来は果てしなく遠い。まだまだ荒くてどんなやり方が日本にとって、患者さんにとって最適なのかも突き詰められてはいない。だからこそ挑みたいのだ。いつ海外で働けるようになるのか、勉強できるのか、現在の世界情勢では不透明である。しかし、このコロナ禍で生まれた私の夢を、コロナ禍のせいにして萎ませてしまいたくない。夢は途中で諦めるから叶わないだけであって、信じて努力することを続けていけば、いつか神様が振り向いてくれると信じている。
 改めて、今のあなたの夢はなんですか?と聞かれたら、こう答える。
 医療で、周りを幸せにする。そして、世界を平和にする。