米国財団法人野口医学研究所

野口エッセイコンテスト 入賞作品
〜夢〜 10年後、あなたが成し遂げていること

野口エッセイコンテスト
入賞作品
〜夢〜 10年後、あなたが成し遂げていること

夢のつづき

川口莉奈

東京医科歯科大学 医学部 保健衛生学科 検査技術学専攻 4年

 ただひとつだけ。それだけを持って春を迎える。

 電車の窓に目を向けると、いつの間にかビルと呼べるような建物はなくなっていた。緑豊かな景色はもうすぐ目的地に着くことを告げている。一時間ほど眠ってしまっただろうか。ほとんど読み進められていないレジュメを鞄にしまい、駅に着くまで変わらない景色をただ眺めていた。
 電車を降りると、冷たい風が頬をなでた。寒さに身体を縮こませているうちに、同じ電車に乗ってきたであろう親子と私だけをホームに置いて、電車は次の駅へと向かっていった。母親が女の子にマフラーを巻いている。私も外していたマフラーを巻きつけ、温かいミルクティーを買うために歩き出した。時刻は十二時半、乗りたいバスまで十五分。カイロ代わりの紅茶を手に、改札を出る。先程の親子がバス停のベンチに座っていた。女の子はランドセルから何かを取り出し、母親に見せている。作文用紙のようなものに、大きな花丸が書かれているのが見えた。
 小学生の頃、将来の夢についての作文を書いたことを、思い出した。幼いころの私は、宇宙開発に関わる仕事に就きたいと思っていた。星空を見上げる時間が好きといったひどく単純な理由によるものだったが。あの女の子もそういった作文を書いたりしたのだろうか。彼女の夢を想像しているうちに、バスがやってくるのが見えた。

 バスの行先は県立こども病院。私が中学生の時に一年間入院していた病院だ。

 急性骨髄性白血病という病気なのだと、お医者さんは言った。血液が上手くつくれない病気だと、紙芝居のようなもので簡単に説明してくれたことを覚えている。私はこの時、病気に対する恐怖というものが全くなかった。当時の私は病気を理解できないほど幼くはなかったが、自分の死を実感するには幼すぎたのだと、今になって思う。

 この病院には多くの子供たちが入院している。制限はあったが、病棟内であれば移動が自由だった。私は、生まれたばかりの赤ちゃんから大学生のお姉さんまで、様々な友人とこの場所で出会い、多くの友人との別れを経験した。
 私が退院する二週間前、ある女の子が亡くなった。誰かが亡くなると、そのことを担当医師から伝えられる。それは、この病棟のルールの一つだった。彼女は生まれてから入退院を繰り返し、人生の大半の時間をこの病院で過ごしていた。彼女は「ありがとう」と言って涙を流し、そして、息を引き取ったと、先生は言った。その時先生の目に浮かんでいた涙を、私は今でも鮮明に覚えている。
 生きたいと、生きてほしいと、願う中で、受け入れなければいけない死がどれほど残酷なものなのかを、先生の涙は物語っていた。彼女はただ生きていたかった。そして、家族や先生は彼女にただ生きていてほしかった。それだけのことが叶わない。病気による死はあまりにも理不尽で、私にも襲い掛かっているはずのものだった。そのことにやっと気づいた私は、入院してから初めて死の恐怖に涙を流したのだ。
 助けられない命が存在する。世の中は治療法のない病気であふれていて、多くの人が病気によって亡くなっている。私は知っていた。そして、それを当たり前のように考えていたのだ。人が死ぬということはどういうことなのか、私が今生きていることがどういうことなのか、私は理解できていなかった。
 入院した時、先生が私の病気は必ず治る、と言ってくれた。その言葉をただ信じていた。私はこの時まで、私が生き続けることを疑うことをしなかった。もし十年前に白血病になっていたら、私は今生きていないかもしれない。仮定の話をしても仕方のないことかもしれないが、白血病を治る病気にした誰かの存在を意識した。私の未来は当たり前に存在しているのではなく、誰かによってつくられているものだと気づいたのだ。
 私の夢は、治療法のない病気を1つでも減らすこと。生きたいと願う誰かの未来をつくること。それは、あの時の先生の涙を救うことにもつながるのだと思う。病気のメカニズムを解明することや早期発見のためのマーカーを発見することなど、全ての医療研究が誰かの未来につながっている。

 十分もすると、目的地が見えてくる。私は崩した小銭をポケットから取り出し、バスを降りた。いつも病院は混んでおり、受付のソファはほとんどが埋まっている。受付を済まし、壁際に移動した。キッズスペースのようなところで、子供たちはビデオを見ている。駅で見かけた女の子も、ここにいる子供たちも、私と同じ未来を生きている。
 この一年で未知のウイルスによる感染症が流行し、最善を尽くしても救えない命がたくさんあっただろう。その死を見送る家族や医療従事者の悲しみがニュースで取り上げられることもあった。そんな絶望の中で、ワクチンが着々と完成し始めている。たくさんの命を救う足掛かりとなり、患者や家族、関わる医療従事者の希望となるのだろう。医療の進歩のスピードの速さを目の当たりにして、私もその進歩に関わりたいと改めて強く思う。
 
 この病院でつらい抗がん剤の治療を受けた。初めて死の恐怖を感じた。たくさんの別れを経験した。それでもこの場所で夢をみた。新しい時代が春とともにやってくる。私はその時代を歩んでいくことができる。小学生の時とは変わってしまった夢だけれど、私は夢を見続けている。誰かに支えられた私の夢は、誰かの未来を支えること。友人たちが見ることができなかった未来を、誰かが見続けることができるように。
 あの時の痛みも恐怖も悲しみもすべては私の夢へと変わった。私は私の夢だけをもって春を迎える。あの頃みた夢のつづきをこの場所でみている。

審査員からのコメント

奈良 信雄

奈良 信雄

一般社団法人 日本医学教育評価機構 常勤理事
大学改革支援・学位授与機構 特任教授
特定非営利活動法人(NPO)野口医学研究所 理事長
 医療従事者になるモチベーションには様々なものがある。最も多いのは原体験ではないかと思う。将来宇宙開発に関わりたいという申請者川口さんの夢を変えたのは、急性白血病という、死の恐怖とも直面する大病の経験に基づくものだろう。
 医学・医療の発展は日進月歩である。とりわけ、分子生物学などの新知見が医学に導入されて診断法や治療法が大きく進歩したのが、白血病を始めとする血液疾患である。10年前に比べ、白血病の治療成績は長足の進歩を遂げ、もはや“治らない”病気ではなくなりつつある。
 川口さんは将来臨床検査学の分野で活躍されることと思う。自らの経験を活かし、いまだに難治性とされる疾患の診断や治療法の開発に大きく貢献し、苦しんでいる多くの患者に希望を与えていただきたい。